日本プレイセラピー協会ロゴJapan Association for Play Therapy

Ann Cattanach先生のご講演

2007年7月28日 子育て支援講座「遊びの力−子どもを理解するということ」

 日本プレイセラピー協会(JAPT)が主催する海外講師を招いた一連のプログラムの最初の年のまさに初日の催しが本講座であり、受講者は100名を少し越えるほどに盛況でした(会場:東京ウィメンズプラザ ホール 受講者113名)。日本に暮らし、子どもを育てたり、子どもを育てている人を支援したりするものとして、それぞれが参加しながら聴くという会になりました。
 アン・カタナック先生に椅子をご用意させていただこうと申し出ましたが、先生は「立ったまま話したい、椅子はいらない」とおっしゃってその通りに実行されました。受講者のお一人おひとりに、一分一秒でも惜しむかのように、全力を注いでお話くださいました。「良い家庭を育み、良い子を育て、そして良い社会をつくる」という先生の信念に基づいて、事例の紹介やワークによって体験的で心に残る時間となりました。
 カタナック先生がフロアーに紹介してくださった体験的なワークには例えば次のようなものがありました。

  鳥だったら、どんな鳥になりたいかな?
  花だったら、どんな花になりたいかな?
  動物だったら、どんな動物だと思う?
  色だったら、どんな色?
  木だとしたら?
  果物なら?
  魚なら?
  野菜なら?
  車なら、どんな車かな?
  どんな家かな?
  どんな音楽が自分かな?

 「実際に今ここで二人組を作ってみよう。なんでそれなのか、その理由も併せながら、お互いの世界を共有してみよう」と先生はおっしゃいました。
 フロアーはびっくりしながらも、先生の提案する課題に取り組んでみました。先生の「親も子も一緒に行うことが大切。きっと発見とおもしろさを体験することができるでしょう」との言葉通り、すぐにフロアーに活気が生まれました。ある方は「遊びをとりいれた説明に、とても楽しく受けることができました」と感想を述べていました。
 ところで、私たちがカタナック先生にお話いただきたいこととして事前にお願いいたしましたことは次のようなことでした。「現在の日本は社会状況が以前よりも複雑で難しくなっており、子育てをする親も、子育てを支援する人々も、どちらもたいへんな戸惑いをもっています。どのようなことが本質的なことなのでしょうか。どのようなことを胸において、子育てをしていったらよいのでしょうか、あるいは子育て支援を行っていったらよいのでしょうか。そのヒントをいただきたいとの思いです」
 カタナック先生は「私はイギリスやアイルランドなどたくさんの国の支援にかかわってきましたが、その文化にあったものが必要です。私のお話が日本のみなさんの文化にあっているかを見極めることはとても大事なことです」という意味のことをお答えくださいました。相手の背負っている人生や文化に常に想像力をめぐらせることが、伝える側や育てる側にとって大切であるということを教えてくださいました。それだけでなく、聴く側や受けとめる側もただ受身的に鵜呑みにして良いものを取り入れようとするのではなく、自分や自分たちのたどってきた人生や文化的背景を踏まえ、自分や自分たちに意味のあるものであるのかを吟味しつつ主体性をもって聴くということの大切さも同時にお伝えくださっていると感じました。
 カタナック先生の当日のお話の中に、麻薬に溺れている親の登場するイギリスでの事例や、性的な虐待の被害に遭っている子どもの事例についての紹介がありました。そのような深刻な現実にびっくりしつつも、「子どもの想像の世界に大人やセラピストがいることが大事であると感じた」「事例の話がたくさん聴けて興味深かった」「子どもの遊びのコンテクストを無理に現実につなげないことがわかった」など、聴講者はそれぞれに刺激やヒントを受けていらっしゃいました。
 “子どもの遊びのコンテクストを無理に現実につなげないことがわかった”と感想を挙げてくださった方がありますように、カタナック先生は、子どもの遊びの世界をむやみにその子の厳しい現実体験と結びつけることは致しません。なんらかの被害を受けた子どもの心には、辛くまた混乱の伴う、直接的には意識化しがたい過去があります。安心をもたらす大人が見守ったりかかわったりすることによって、過去の辛く混乱の伴う気持ちを、遊びやファンタジーによって子どもは表現する機会を得ます。その過程において、子どもは自らの過去の物語を受け止めたり整理したりしようとします。さらに大人が「自分の人生を自分で決めることができるのよ」と子どもが現実をしっかり選んでいけるようにも勇気付けることによって、ファンタジーと現実をむやみに大人がつなげようとしなくとも、傷ついた子どもたちのこのままずっと閉じてしまうかもしれなかった時間が、再び未来へ向けて動き始める、ということをカタナック先生は私たちに伝えてくれました。
 本当に一人の人としてここまでできるのだろうかと不思議なくらいたくさんの意味のあるご経験をなさっていらしたアン・カタナック先生が、そのご経験や叡智のすべてを一つの種に濃縮して、私たち一人ひとりに植えていってくださったのだと思います。先生とお別れをして数年を経た今でも、その日の参加者同士が会うと、「あのときアン先生が、子育て講座でこんなワークしたよね、そしてこんなお話してくれたよね」と誰からともなく話題にすることがたびたびあります。「こないだ子どもと接っしていたときに、カタナック先生がおっしゃったことの意味が、急にわかったんだ」ということも私たちには本当によくあります。このような体験は不思議としか言いようがありません。忘れてはならないのは、傷ついた子どもの心も、このように信念と知恵を持った大人があきらめずに接することで、もしかしたらその子に将来芽が出るかもしれない種を渡せるかもしれない、ということです。カタナック先生と過ごした時間はわずかでしたが、学びが本当に深かったです。

日本プレイセラピー協会
葛生聡

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